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物の価値ってどうやって決まるんだろう?

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 こんにちは、ほっほです。

 今日は最近よく考えていることについて書きたいと思います。

 スーパーに行って野菜やお肉が売られているのを見て、ふと思ったのが、「誰が、どうやって物の価値を決めているんだろう?」と思ったんです。もちろん、経済的な価値を決めているのは人間ですし、もっと具体的に絞れば、農協や農家の方々、政府が関わって価格が決められているのだと思います。きっと、経済状況や、自然環境の状況、人件費などを包括的に考えた末に物の経済的価値が付与されているのだと思います。

 しかし、結局のところ物の価値は主観的な判断で決定されるのではないかと思ったんです。
 
 というのは、確認のニーズの強さによって物の価値は変動すると思うんです。例えば、オークションでセリにかけられるものの値段はどんどん高騰していきます。妥協点もその時々によって変わってきます。また、同じパンが二人の人に与えられたとしても、二人の状況によってそのパンの価値はかなり変わると思います。空腹の人と満腹の人とでは捉え方に差が現れると思います。

 僕は、先日3日間断食してみて物の価値について考えることがありました。おかゆと言えば、僕にとっては普段は食べないあまりおいしくない食事だと思っていました。しかし、断食中はそのおいしくない食事が恋しくなりました。そして、断食後に食べたおかゆの味は最高においしかったです。空腹のときであるならば、おかゆに対しても大金をはたいてしまうと思うほどに。

 そこで思ったんです。果たして、今の自分は物の価値を本当に評価しているのだろうかと?そして、物の価値を最大限に引き出しているのかを自問してみました。

 

 普段の生活の中で3度の食事は当たり前のものとして摂ってきました。いざ、食事を辞めたことで物の価値について考えました。

 市場で決められている価値が全てではないと捉えなおすことが出来ました。だからこそ、物を粗末に使うのではなく、市場の値段以上の価値にしていこうという心構えが必要だと思いました。

 一回の食事についても今まで深く考えながら食べたことはありませんでしたが、ご飯を食べるときにこう思うようになりました。
 「僕はこの食事をとるに値するだけ一生懸命働いただろうか?」「心から感謝しているだろうか?」

 このようにとらえながら、日々の自分の歩みを振り返る習慣が必要だと感じました。あまりにも当たり前なことだからこそ、忘れてしまうといけないと思ったんです。食物たちが命を犠牲にして僕らの命をつなぎとめてくれていると考えると、物の価値って本当は決めれないものなのかなと思うんです。しかし、消費する側としては主観的にどれくらい真心を込めて物と向き合うかがカギなのかなと思います。

 物と対峙する時は、自分の生きる決意を改めて固めるようにしていきたいと感じました。

 皆さんにとって物の価値はどうやって決まるでしょうか?意見・質問当ございましたら是非コメントよろしくお願いします。

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